チューバのマウスピースで有名な『ヘルバーグ』とは…?
2015/08/20
August Helleberg(デンマーク⇒アメリカ 1861~1936)
チューバを演奏される方なら、一度は、マウスピースの名前で
「ヘルバーグ」という言葉を、耳にしたことがあるかと思います。
Tuba Mouthpieces | Schilke Music
シルキーやコーンからは「ヘルバーグ」というモデルのマウスピースが発売され
また、ペラントゥッチやG&Wでも、モデルによっては説明の中でヘルバーグという
言葉が出てきます。
このヘルバーグ・モデルのマウスピースの吹きやすさや
反応の良さ、人気の高さは、皆さん実際に吹かれたり
有名な奏者が使っていたりと、既にご存じの事かと思いますが
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この『ヘルバーグ』が、ニューヨークフィルやスーザ吹奏楽団をはじめ、
かつて、アメリカで活躍したデンマーク出身の伝説的なチューバ奏者の名前であり、
どのような人生を送ったかという事は、意外と知られていないと気がします。
現在、Webページの更新はお休みされていらっしゃるのですが
同じくデンマークのチューバ奏者、Jørgen Voigt Arnstedさんが
ヘルバーグさんの生涯をまとめて下さっています。
今回、連絡をとり、有難いことに日本語での転載の
許可を頂きましたので、私の主観も少し交えながら、こちらに紹介させていただきます。
(転載は抜粋となります。ご了承ください)
■生い立ち
・1861年3月7日 デンマークのオルボアで、6人兄弟の5番目として生まれた。
・父親はデンマークの軍隊に所属していた(軍曹)
・家庭の経済状況は、恵まれてはいないようだった。
・学校に行く前から父親の手ほどきを受け、金管楽器を学び始める。
・ヘルバーグさんが9歳の時(1870年)に、父親が亡くなってしまう。
・1870年代の前半、母と幼い4人兄弟は、ノルウェーに移り住んだ
(1875年にクリスチャニア=現:オスロに住んでいたという記録が残っている)
・曾孫さんが、この頃の写真(兄弟でノルウェー軍隊の制服を着て、金管楽器を持っている写真。クリスチャニアのスタジオで撮られたものらしい)を持っている。
・また、この時代、デンマーク軍の音楽家(音楽隊?)は、650人から300人にまで削減され、この事がノルウェーに移り住む一つのきっかけになった。
■アメリカへの移住
・ヘルバーグさん自身は、1878年(17歳の時)には、アメリカに移住していたようである。
・ヘルバーグさんはアンナ・リースさんという女性と駆け落ちし、ニューヨークで結婚したようである。(1900年の国勢調査時に、1879年に結婚との記録が残っている)
・アンナ・リースさんは、古くからある宿屋の娘さんだった。
・ニューヨークに渡った頃は、チューバのフリーランス奏者として生計を立てていた。
・1880年と1882年に娘が生まれている。
・1883年には一度デンマークに娘と共に帰省し、母親も連れて、アメリカに戻った。
・後に、ヘルバーグさんの兄弟2人も、アメリカに移住した。
■歴史に残る著名なオーケストラや、伝説的なスーザ・バンド(スーザ吹奏楽団)で活躍
・ヘルバーグさんはニューヨークのオーケストラ界で、すぐに主要なチューバ奏者の一人となった。
・また、ヘルバーグさんは、優れたコントラバス奏者でもあった。
(個人の勝手な推測ですが、ドイツの劇場等ではチューバとコントラバスの掛け持ちという雇用形態があることから、この時代のアメリカにも掛け持ちがあり、ヘルバーグさんのコントバス奏者としての技術が生きたのかも…と思います)
・1888年に、これまた後に伝説的なチューバ奏者となる「フレッド・ゲイブさん」(当時15歳。シルキーのマウスピース「ゲイブモデル」でもお馴染み)の父親がドイツからニューヨークに移住し、ヘルバーグさんの元を訪ね、息子(=ゲイブさん)にチューバの指導をお願いしている。その後、ヘルバーグさんはゲイブさんの先生となった。
・ニューヨークフィルに在籍したほか、1891年から1895年の間、シカゴ交響楽団で初のチューバ奏者(個人の勝手な推測ですが、それまではシカゴ響にチューバの固定ポストが無かったのではないかと思います)として在籍した。
・その後は、再びニューヨーク・フィルに戻り演奏したほか、メトロポリタン・オペラ・オーケストラにも長年在籍した。
・1898年~1903年には、スーザ・バンド(スーザ吹奏楽団)で演奏し、同楽団のヨーロッパツアーにも同行した。
・その他にも、ニューヨークで有名な、コーンウェイズバンドやゴールドマンバンドでも演奏していた。
New York Philharmonic at Lincoln Center
■レコーディング、楽器デザイナーとしての活躍
・レコーディングの分野でも活躍し、偉大な歌手カルーソーとの録音も残している。
・また、当時、楽器工場として有名だったコーン(Conn)と協力してマウスピースのデザインを行った。
・ここでチューバ奏者に馴染み深い「ヘルバーグ・マウスピース(Helleberg mouthpiece)」が開発される。
・チューバだけでなく、コントラバス・トロンボーン奏者の名手としても知られていた。
■晩年には楽器店も経営
・ヘルバーグさんは、1880年代~1920年代にかけて、約40年以上もの間、アメリカの主要なチューバ奏者として活躍したことになる。
・亡くなる年(1936年)、ニュージャージー州のアーリントンで、楽器店を所有し経営していた。
・1936年11月17日、ヘルバーグさんはニュージャージー州ニューアークで永眠された。
(以上、ここまでが転載です)
「音楽」と共に歩んだ人生だったのかも…。
私は記事を書きながら、
家庭環境の偶然から、父親に楽器の手ほどきを受け、
(これまた偶然にも)アメリカに渡って活躍し、晩年に楽器店を
経営するに至ったヘルバーグさんの人生に、心惹かれるものがありました。
また、当時の国際情勢もあったのかとは思いますが
ヘルバーグさんは北欧からアメリカに渡ることを決めた時、
どんな気持ちだったのでしょうか…。
勿論、今のようにインターネットがある訳でもなく、
アメリカでどんな演奏が行われ、どんな奏者がいるか詳しくは
知るすべがないその時代に、どういった心境でアメリカに向かったのか…
今となっては、知るすべは有りませんが
個人的に非常に関心があります。
なお、もう1点、私が感動したのは、同じく、マウスピースの
モデル名でも有名なフレッド・ゲイブさんがヘルバーグさんの元に
習いに来ていることです。
かのアーノルド・ジャイコブズさんから、沢山の素晴らしい
お弟子さんが生まれたように、アメリカでは、そのもっと前から
脈々と素晴らしいチューバ奏者の師弟関係が
生まれていたのだな…と感慨深いものがありました。
以上、長文乱筆ですが最後までお読みいただき有難うございます!
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